ある日の姫路城大天守最上階での出来事。
二人のアメリカ人の若者を案内していると、金髪の妙齢のご婦人が私の方をチラチラ見………。
そのうちに、「姫路の黒田は、福岡の黒田と同じですか?」と質問をされました。
「そうです。姫路で豊臣秀吉に仕えていましたが、その後九州に移り、最後は福岡に落ち着きました。」と、答えると、
ご婦人は「私も福岡に1年住んでいた。黒田節が大好き!私は飲まないけれど。」と言い、
「さ~あけ~は~の~め~の~め、の~む~なあらあば~」と黒田節の一節をニコニコ顔で謡ってくれました。
周りのお客様も思わぬハプニングに、笑顔に溢れておりました。

今日の写真は、本当はお酒好きかも知れないご婦人のようにスリムな大天守東面と、黒田官兵衛の将 母里友信(アイキャッチ画像、博多駅前)が、福島正則から呑み取った槍、黒田節に謳われる「日本号」(福岡市博物館)です。


断面は三角の刃で、その長さは何と79.2cm、長さは、321.5cm、重さは20kgを超えているのではないでしょうか?
日本三大槍といわれるのは、この「西の日本号」、「東の御手杵(おてぎね)」と、止まったトンボが切れて落ちたといわれる本田忠勝の「蜻蛉切」です
ところで、秀吉の姫路城は中国大返しのときに、信長の敵討ちの戦に天王山に向かう軍勢の補給基地に使われたことはよくご存じと思いますが、その秀吉の天守の礎石は、輝政の大天守の石垣の中に埋もれていたのが昭和の大修理で見つかりました。
姫路城は日本の歴史の大きな転換期に、その使命を果たしておりました。
この日は1名の会員が頑張って、2回の案内を行いました。
1フランス 1名
日本人の友達が有馬で旅館をしているので、招待されたそうだ。姫路にバスが迎えに来るので、少々急いでいた。
2フランス 1名
昨日は、熱中症だったのか、一日中ホテルで寝ていたそうだ。今日も、本調子ではないらしく見えたので、風がある所で、休み休み、上って降りて来た。
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