ある本の記述に、「城が高くそびえ天守や櫓の漆喰壁が白いので、来襲敵機の好目標になることをおそれ、昭和十七年五月に天守閣を、翌年十二月には諸櫓と土塀を偽装網でおおった」とあります。
これによると偽装網は2回に分けて設置されたようです。
2回目の時期は、すでに南方戦線では玉砕が始まっており、また学童疎開が始まる時期とも一致するので納得できますが、1回目は太平洋戦争が開始されてまだ4か月あまり、日本がまさに勝ち戦の絶頂期、その時期に設置する動機(要因)は何だったんだろう?と思っていましたが、一つ思い浮かぶ当時軍部を震撼させた出来事がありました。
日本初空襲(ドーリットル空襲)です。
それは日米戦開始わずか4か月余り昭和17年4月18日の出来事です。
米海軍の空母に航続距離の長い16機の米陸軍の双発爆撃機(B-25)を搭載し、東京から神戸間5都市を昼間分散爆撃し大陸方面に退避するという意表を突いた空襲です。
日本のレーダー網を警戒して超低空(搭乗者の顔が見えたとの証言)で飛行したので、何機かは海岸線にそって姫路上空を通過したとしてもおかしくはありません。
これは、あくまでも個人の推論であって資料に基づくものではありません。
しかし、こういう見方もあるということで両者を結び付け、何か話題を引けばと思って投稿してみました。
ドーリットル空襲のアメリカ側の当時のニュース映像はYouTubeでも紹介されています。
(艦上での爆撃機の出撃の様子、太平洋に散開していた日本の監視船(偽装漁船)への攻撃の様子など) いずれにせよ、偽装網の設置は、城を大切にせよという先人の教訓を後世の人たちに残しているように思います。
この日は5名の会員が5回の案内を行いました。
1オーストラリア 4名
40人の団体旅行でその内2組の夫婦から依頼された。集合時刻が決まっていたので早足のツアーになりましたが、大変感謝されました。
2カナダ 2名
10歳の息子を親に預けて旅行中。奥さんは2度目の来日。VEGA 事を事前に調べていて、ガイドしてもらえて良かったと言ってくれた。
チェキも持参していて、何枚か撮っていた。FUJI製でした。
3フランス 2名
パリからのカップル。日本は初めて。
3週間で日本のディープなところも見たいため、紀伊半島の地方都市も訪れる計画です。
会うなり姫路城のことを「日本のベルサイユを見に来ました。」とおっしゃて、すべての話を興味深そうに聞いてくださいました。鯱や刻印などについて「あれは何ですか」と、説明前にどんどん質問してくださり、西の丸の方もしっかりと見学されました。
4マレーシア 1名
マレーシアから初来日の女性と将軍坂に来た所で、先に西の丸を見て来たフランスからの男性が合流してのツアー。1週間の短い旅のイスラム教徒の彼女と4月から来日して、仏教徒で四国八十八か所も回った彼との会話のやり取りも興味深く、宗教について改めて考えさせられました。二人とも東京には行かないそうです。
5台湾 2名
台北の英語が堪能なカップル。
将軍や江戸など固有名詞になると文字を書いて説明した。
男性は2回目の来日で前から姫路に来たいと思っていて今度は初来日の彼女と一緒に来た。


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