「Like Napoleon」に、もう一つの意味が。(10月10日晴)

活動日誌

イポリト=ポール・ドラローシュと工房《フォンテーヌブローのナポレオン、1814年3月31日》東京富士美術館蔵「東京富士美術館収蔵品データベース」収録(https://www.fujibi.or.jp/collection/artwork/10198/)

ガイドの初めに「小さな3層の城を豊臣秀吉が建設した」と話します。秀吉の出自はは
っきりしないようですが、私は「元は、単なる兵隊」であり、出世して「戦国時代の日本
を統一」したと説明しています。そこで付け加えるのは「Like Napoleon, Comme
Napoleon」という言葉です。フランス人には大受けです。
ナポレオンは没落したコルシカの貴族で、一族でフランス本土に行ったみたいです。そ
のあと、士官学校に行って、皇帝になりました。前線の部隊から、出世街道を驀進した事
を、私は「秀吉はlike Napoleon」と表現していました。二人とも「英雄色を好むタイプ」
でもあったようですが、それはさておきです。。
数年前に、「KCC神戸カルチャーセンター」の「ヨーロッパ歴史講座」に2年だけ参加
し、二人には、もっと共通点がある事を知りました。ナポレオンにも子供が生まれなかっ
た。最初の妻、ジョセフィーヌは再婚で既に子供がいました。だからナポレオンは子供を
持つことを諦めていたのですね。
ナポレオンはプロイセンとの戦争で勝利し、その結果「ポーランド」が「ワルシャワ大
公国」の形で独立を果たします。その時、彼は「マリア・ヴァレフスカ」という女性を見
初め、愛人になることを求めます。マリアは没落した貴族の家柄で、借金の肩代わりを条
件に、16歳で、46歳年上の貴族を結婚します。ナポレオンの要求に「ポーランドのた
め」ということで、周囲から説得され、ご主人も了承します。なんと、2か月後に彼女は
妊娠します。
ナポレオンは大喜びします。そして、ジョセフィーヌを離婚し、ハプスブルク家の王女
と結婚します。ここで、ナポレオンは判断を間違えたのでしょうね? 自分の子供に権力
を渡したい。そして帝位についた。
豊臣秀吉も同じ判断ミスをしています。自分の子供が生まれたので、豊臣秀次を追い出
した。秀次がいたら、家康はと豊臣家に対抗できたかどうか? 歴史に、「もしはない」
といわれますが。秀吉とナポレオンは同じミスをしたのではないでしょうか? 「Like
Napoleon」です。
 後日談です。マリア・ヴァレフスカのご主人は生まれた子供を「自分の子供」として認
知し、その子供は、後にナポレオン三世の時に外務大臣になりました。マリアは終生ナポ
レオンを愛し、セントヘレナ島への同行を願いますが、イギリス軍に拒否されます。ハプ
スブルグ家の王女は実家に帰り、それなりの人生を送ったそうです。
 姫路城のガイドをしていると、少しずつですが、賢くなります。
(IU記)

この日は5名の会員が6回の案内を行いました。

1オーストラリア 2名

とても美しい。現存なのでお城は姫路城だけを選んだが、想像以上だった。

2カナダ 2名

カナダのモントリオールからの夫婦。両方とも退職し、長年の夢だった日本旅行をしている。6週間で東北、北陸、関西のさまざまな地域を訪れるという。日本のお城といえば姫路城ということで来たという。

3スイス 2名

説明が詳しかったので、よく理解できた。とても美しい城だと思った。

4イギリス 2名

5オーストラリア 2名

かなり混雑の中ガイドに出会えてお城を楽しむことができ、ラッキーだったと喜んでくれました

6台湾 3名 ブルガリア 1名

台湾人母と2人の息子。何度も来日。これに万博ブルガリア人職員が加わる。3人は日本語少ししゃべれる。1人は大学で日本語専攻。ブルガリア館コンセルジュは7班あり1カ月事に交代する。ガイド後、大学生からその場で日本語のお礼文を頂き大変嬉しかった。

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